錯覚と同位角。
息子は小1か小2のはじめ、娘は小1のときに教えましたが、息子は瞬殺、娘はめちゃくちゃ時間をかけても理解できず、「ようやく…」と思っても時間を置くとわからなくなりました。今でも線が増えると悩みます。
因数分解。
息子は、(x+2)(x-5)ができるようになったあと、すぐに(a+3b)(a-5b)もできるようになりましたが、娘はできるようになりませんでした(←娘に限った話ではなく、文字が増えると混乱する中学生もいます)。
後者は年齢かな、と思わなくもないですが、前者は地頭の差ですね。
国語。
小4の息子、小2の娘に、同時に同じ教材で教えています。息子はゆっくりとしか国語力はあがりませんが、小2の娘はサクサクあがっています。
地頭の差は確かにあります。
が、コレ、指導者が段階をふむなどの工夫をすれば済む話です。
(例)1.(x+2)(x-5)
2.(a+3)(a-5)→なかには文字が変わっただけでできなくなる子どももいます
3.(a+2b)(a-5b)
つまり、地頭に差はあれど、到達点は指導者の腕次第なわけですね。
「簡単なことだから、できるようになるだけだ。難しくなると地頭だ!」
そう思うひともいるかもしれません。
そういうわたしもその辺の話はよくわかりませんでしたが、親塾をして指導者次第だとわかりました。
「算数・数学のセンスがあまりない」「未発達の小2」が、遊びながらも、3学年飛び級で偏差値60超(浜学園)とかですからね。
小3、遅くとも小4には豊島岡女子レベルの過去問も解けるようになると思いますし。
結局、どのような指導をすれば学力をあげられるのかわかっていないひとたちが、なんでもかんでも地頭と言っているのだろうな、と思います。ま、もっとも大切なのは、子どもや親のやる気などですけどね。
…塾講師・家庭教師の立場だと、「手間暇がかかる家庭」よりも「地頭が良くて、親も言う通りにしくれる家庭」が望ましいですよね。 もらえるお金は変わりませんし、所詮、赤の他人ですから。
ゆえに、地頭と言いたくなる気持ちはわかりますが、親がロクに努力せずに地頭というのはちがうだろ、努力している親に対して、「地頭だ」というのもおかしいだろ、と思います(※)。
※「そのやりかたはおかしいだろ」はよくわかる…というより、ブログでは子どもためにそういうことを書いています。正しい学習法で手間暇をかければ、難関校に到達できますし。「地頭の差は確かにある。が、正しい方法で勉強すれば難関クラスにも届く。で、難関大という看板で就職。社会に出てからはペーパーテストではかれる地頭は大して意味がなくなる」ではないですかね。
※あくまで受験レベルの話です。東大・京大だけでも1学年で数千人いますからね。
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