量よりも質。
勉強の時間の長さに固執してもあまり意味はない、は当たり前だと思うので、その辺の話は置いておきます。
さて、「このレベルの子どもに、これを習得させるにはおよそ何時間くらいかかる」という目安があります(だから塾はカリキュラムを組めているわけです)。
偏差値も同じです。
「偏差値をこのくらい出すには、このレベルの問題をすらすら解けるようにする必要がある。その問題を解けるようにするには、家庭学習で×時間は必要」のような逆算ができます。
かつて、たとえば、こういうことを考えながら授業していたので、上のクラスの平均の偏差値をぶち抜くことができたわけすが、その話は置いておきます。
本題。
斬新な手法を編み出さない限り、あとリアルの天才児ではない限り、この目安の時間を大幅に短くすることはできないと思います。
「偏差値が高い=勉強時間が長い」なわけですね。
にも関わらず、中学受験にて低学年からトップ層にいるブログを読んでいると、「低年齢の勉強には反対」「1日30分」などと、まるで勉強させていないがことく書いているところもあります。
「なぜ、なんだろう?」
はじめはそう思っていましたが、まずは、以下。
・リアルな勉強時間を公開すると非難されるから隠している
・自分は別、他人には違うことを言う(競争相手を減らしたい、綺麗事を言いたいなど)
つぎに、以下。
・「勉強」という言葉の定義がちがう
わたしには勉強としか思えないものもすべて「習い事」「教養」などとしていることが多いです。
<わたしには勉強としか思えないことの例>
・公文式 → 習い事
・日常生活で数の概念や単位を教えたりする(算数) → 教養
・日常会話で、理社の知識を教える → 教養
・パズル、歴史のマンガなど → 教養
ほかにも周辺知識があれば理解がはやいですが、子どもが低年齢のうちから、親がいろいろな周辺知識を身につけさせているようです。
これも勉強の範ちゅうに入ると思いますし、それを勉強時間にいれると、膨大な時間になるのではないでしょうか。
最後に「子どもが楽しめば勉強ではない」「そもそも勉強と遊びを区切るのはどうか」などの意見もあるようですが、それを言ったら何でもOKになってしまいます。
というわけで、勉強時間。
子どもを教育するうえでの目安になりますが、そこだけはネットの情報をうのみにしないほうがいいかもしれないと思って、記事にした次第です。
で、個人的には、教育虐待を防ぐために、勉強時間を意識したほうがいいと思っています。たとえば「1日1時間を絶対に超えない」みたいにする感じですね(ただ子どもによって「上限」は異なるので、子どもの限界を把握しておく必要はあると思います)。
ちなみに、中受のプロたちはこういう時間を意識しているので、カリキュラムも組めれば「中学受験の勉強は小4からでも間に合う」とも言えているのだと思います。
※低年齢の勉強がそのまま高学年の成績につながるかどうかは、また別の話なので、あしからず。
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