「登山をしよう!」と考えたとします。出発時間が遅くなればなるほど、「頂上には登れなくなる → 山頂付近まで登れなくなる → 中腹まで登れなくなる → 登山は無理」となっていくのではないでしょうか。
それと同じで、山頂を東大の理Ⅲとするならば、子どもへの教育をはじめる時期が遅くなればなるほど、「東大理Ⅲは無理 → 難関国立大の医学部は無理 → 難関国立大は無理」となっていくのではないでしょうか。
すなわち、教育をはじめるタイミングが遅くなればなるほど大学を選べなくなっていくわけですね。
確かに、出発時間が遅くても、一気に登って追い抜くかたもいます。
が、例外をさも一般のごとく語るのは愚の骨頂です。「ロトで億が当たるから、みんな仕事を辞めるべき」も正しくなりますからね。
一般的には高校受験からでも間に合うと言われているが――。
塾講師をしていたとき、つぎのようなパターンによく遭遇しました。
<高校受験そのものが無理なパターン>
「中3なのに分数がどうしてもわからない」のようなパターンです。
このような状況でも、偏差値55あたりまでならばカリキュラム上では間に合わせることもできなくはないですが、こういう子どもたちはすべからく机に向かう習慣がなかったので、どうすることもできませんでした。
出発する時間がかなーーーり遅かったわけですね。
手遅れです。
ただ、ごく少数の話です。
が、決してごく少数の話ではなく、生徒の半数以上を占めていたパターンもあります。
<本人はがんばっているのに、決して偏差値60を超えられないパターン(高校受験)>
偏差値40強から50くらい。腕がある塾講師だと偏差値55~60手前くらいまではのばせるでしょうが、それ以上は無理なパターンです。
こういう子どもたちは、その先、本人ががんばっても中堅私立大しか目指せなくなることでしょう。
いつ教育をはじめるべきか?
後者のパターンのたいはんは、小学校のときの勉強の仕方が悪い、すなわち、小学校の教師が悪いでした。
積み木でたとえると、一番下の段の積みかたがめちゃくちゃ、かつ、積み木も少ない状況なので、本人が努力しても成績はのびないわけです(腕のいい塾講師や家庭教師だとそれに気が付くのですが、時間が足りないと思います)。
中学受験?
関係ないわ!
小学生のうちは遊び呆けるくらいが、ちょうどいいわ!
え?
勉強させたほうがいいって?
小学校の先生がしっかり見てくれているから、基礎は固まっている! 大丈夫!
それに先生が「学校で習っていないことはするな!」と言っていたし、塾に抵抗があるんだよね。子どもが可哀そうだし。
そう言っていた結果、基礎さえ固まっておらず、そのせいで中学生以降、成績がのびなくなってしまって大学の選択肢がなくなるという感じなのかもしれませんねー
公立の学校の先生は教科書レベルでさえ習得させられない
公立の学校の先生には、結果責任がありません。
一切教えなくても給料をもらえるのに、きちんと教えるはずがありません。
実際、幼稚園児が短期間でできるようになったことを(うちの娘で実証済)、6年もかけて教えているのに、分数が苦手な子どもがいるわけですし。「習っていない漢字を書くな!」などの、アホとしか言いようがないことを平気で言いますしね。
公立の学校の先生に学業を丸投げすると痛い目にあいます。
※「きちんと教える=成績をのばす」なので、あしからず。もちろん、きちんと教えている教師もいると思いますし、実際、妻の小学校時代の先生にそういう先生もいたそうです。数は極めて少ないですが。
中学受験は抜きにしても、塾などで基礎は固めておいたほうがいい。
わたしは未だに中学受験は乗り気ではありませんが、中学受験をさせないと決めても、親塾は継続します。
それは、この記事に書いたようなことがあるためです。
というわけで、中学受験は抜きにしても、塾などで基礎は固めておいたほうがいいと思います。
ちなみに、大学がすべてではありませんし、わたしは学歴が一切関係のない世界で生きています。
が、子どもが小さいうちに何をしてあげられるのか考えると、勉強がもっとも効果や効率がいいと、わたしは考えています。
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