読書や読書感想文は国語の勉強ではない
国語の学習といえば、「読書」「読書感想文」を思い浮かべると思います。
が、これらは国語の勉強ではないと思います。
正しくは、以下だと思います。
・読書を通して知識を得る。そうできるように国語の勉強をする
・読書感想文をまともに書けるようにするために国語の勉強をする
どういうことでしょうか。
国語を教えないと、子どもは漫然と読み書きするだけ!
「英単語3万語を覚えろ! 毎朝、100語の小テストをするから! 授業は以上!」
こういう先生、有能だと思います?
わたしは仕事を放棄しているとしか思えません。
どのようにすれば効率的かつ効果的に英単語を覚えられるのかを教えるのが、先生の仕事ではないですかね。
※方法そのものだけではなく、子どもの心を変えるのも含む。
読書や読書感想文も同じです。
どのように文を読むのか、どのようにすればうまく伝わるのかなどを教えるのが先生の仕事だと思います。
そういうものは本を読んでいるうちに身につくって?
それが教育を放棄していることに他ならないと言いたいのですが、それは置いておいて、うちの年長の娘、小説をたまに読んで、内容を事細かに話してきます。
が、先日、漢字の勉強のあと、「案内ってそういう意味だったんだ! オズの魔法使いで出てきたけど、どういう意味かわからなかったんだよね!」みたいに言ってきました。
小2の息子に至っては、めちゃくちゃ本を読むのがはやくて、あらすじもわかっているようですが、日本語でさえ危うい状況です(国語がかなり苦手という意味)。かいつまんで読んでいるのでしょうね。
こんな感じで、国語がかなりできるようにならない限り、読書させても「わかるところだけ読む」「なんとなく読む」だと思います。
それに加えて、背景知識…と書くと長くなるので、この辺で。
まともに読み書きできるようにするには受験国語!
まともに読書などができるようにするのに必要な知識をまとめると、出口式だとかの本に行き着くのではないでしょうか。で、そういう本で得られた知識をアウトプットするには(指導者がつきっきりでない限り)長文だと厳しいので、細切れの文章になるのではないでしょうか。
ぜんぶ、詰め込みと揶揄されている受験国語ですね!
もちろん、受験国語は、読解(精読)に偏っているきらいがあるなど、問題点もあるとは思います。
が、読書や読書感想文をまともにさせようと思えば、かなり高度なスキルが必要だとふつうの先生は気が付くので、そういうスキルを身につけさせる段階である小学生にまで読書や読書感想文を勧める先生はよほど残念なかたなのだろうな、と思います(ついでに書くと中学生でも偏差値50くらいだと、まともに本を読めないと思います)。
と、書きましたが、いろいろな価値観がありますし、ほかの家庭の方針をとやかく言うつもりは一切ありません。親は教育の素人なので、読書などの効能をうたう無能先生のいうことを信じてしまうのは、仕方がないと思いますし。
困るのは、学校の宿題。
まともにさせると、めちゃくちゃ時間を食いますからねー
困ったものです。
というわけで、読書を通して知識を得る、そのようにできるようにするために国語の勉強をするではないの、という話でした!
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