中学受験ごときで、「死まで書け」と親が子どもを殺す。
難関中に合格させても子どもの心は成長せず、結果イジメられて引きこもり。そして家庭内暴力。子どもが中高年ニートになってから親が子どもを殺す。
それ以外にも、中学受験や習い事ごときで、子どもの「心」を殺す。
いわゆる教育虐待ですね。
もちろん、「こういう話は全体の何%なんだよ。それをあたかも全体の話のようにすんなよ」とは思います。
それに「中学受験の層」「底辺層」と比べると、おそらく底辺層の子どものほうが不利益を被っていることが多いと思うので、統計データなしに語るのは偏見だとも思います(底辺が、というのも偏見ですが)。
しかし、中学受験の世界にどっぷりとつかっていると――。
「あそこの親は早朝から勉強させている! 深夜まで猛勉強させている!」
「あの子は偏差値70を超えた! うちも!」
揚句に、他人の悪口をあちこちで言いふらしたり、ネットで書きこんだり、「あの子は最上位のクラスから落ちた! ざまあ 笑」となったり…。
自分が狂気に囚われていることに気がつきにくいと感じています。
「自分は大丈夫!」
特に成績がいい子は従順なことが多いので(経験上)、そう感じてしまうかもしれませんが、「成績がいい=子どもに負担をかけている」ですからね。
成績がいいことは良いことだと思うのですが(※)、子どもの負担という視点を忘れたくはないな、と思います。
※負荷ゼロにして毎日遊び呆けさせるほうが、かえって子どもに残酷だとわたしは考えています。
ちなみに、わたしは子どもを「数字」「学歴」で判断しないようにしています。
・偏差値いくつ。
・×に合格した。
嬉しい気持ちはわかります。
落胆するのもわかります。
教えていたとき、赤の他人の子どもでも偏差値で一喜一憂していましたし、合格の報告はかなり嬉しかったですから。
が、ここに固執すると「偏差値が10足りない!」「なんで合格しないんだ!」と「狂った親子関係」になるのでは、と思っています。
小5、小6で「偏差値×だよ…。ヤバいよ…」はよくわかりますが、それでも中学受験は、所詮、大学受験の前哨戦ですしね。
それ以外の学年だと偏差値に一喜一憂しても仕方がないと思いますし(先はまだまだ長い!時間はたっぷりある!)。
で、うちの場合は、日々、「あの不出来だった子どもが、この問題を解けるようになったよ…」「何度も何度も教えて、でもダメで…。ようやくできるようになったよ…(←娘)」で、喜びを感じています
ま、集中していなくて怒るときもありますけどね(←娘)」。
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