エベレストのふもとから山小屋1、山小屋2、山小屋3…とあって、山頂とします。
で、エベレストに登る競争をしました。
A家は、出発時間がはやく、早々に山小屋1に着きました。
B家は。登るスピードが速くて、早々に山小屋1に着きました。
C家は、親が登山ルートを熟知していて親がガイドしているので、早々に山小屋1に着きました。
この先、A家、B家、C家がトップで山頂に行けると思います?
わからないですよね。
そもそもエベレストという山が高すぎて、A家は山頂に行けないかもしれませんし、B家は今は足が速くても途中でバテてしまうかもしれませんし、C家はいいところまではいけても山頂には至れないかもしれませんし。
これは何のたとえかというと、早期教育、先取り学習。
よく「×歳で、×ができた。神童だ!優秀児だ!」みたいなものを見かけます。
しかし、それは単に教育をはじめるのが早かっただけ(A家)、子どもが早熟なだけ(B家)、または教えかたが良かっただけ(C家)ではないでしょうか。
このまま山頂である「灘中の入試問題で余裕の合格点」に至れるかどうかさえもわかりませんし(※)、大多数のひとが何歳になっても到達できないところに到達できるのが神童ではないのか、と、わたしは思っています。
※本当の山頂はもっと先です。短期的な目標ということで。
ちなみに、わたしも親なので、「この年でこれができた! 天才なのでは?」と思う時期はありましたが、教育をはじめてからは客観的に見るようになりました。
ちなみに――。
競争とはちがう角度、すなわち、本人の到達点からは、早期教育や先取り学習をしたほうが到達点は高くなると、わたしは考えています。
先ほどのたとえでいうなら、C家は、親がガイドしない場合はエベレストの中腹しかいけないのを、親がガイドすることで、山頂近くまでに至ることができる、と思っています(親のガイド=早期教育、先取り学習)。
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