「早期教育は詰め込み教育だ! 知的好奇心の芽を摘む! 教育虐待だ!」と非難されている昨今、本当に悪なのかなーと思います。
※以下より、あくまでうちのケースです。
うちの年長の娘、ひらがな、カタカナからはじまり、漢字も覚えさせていますが、勉強を嫌がることのほうが多いです。
勉強しているときも、「うーん。うーん…」と言いつつ、ぼーっとしていたり、お絵かきをしていたりすることもあります(今はだいぶん減りましたが)。
そりゃ、遊びのほうが楽しいですからね。
特にうちは「遊びのエリート」を自称するほど、いろいろな娯楽にふれさせてきて、子どもたちは遊びの「味」を知っているだけに遊びたいのでしょう。
早期教育を非難するかたにとれば、「幼い子どもに無理をさせて、詰め込み教育! 知的好奇心の芽を摘む! 教育虐待だ!」ですよね。
でも、娘、好んで友達へ手紙を書くようになりました。
自分の気持ちを、字で表すようになりました。
娘の娯楽が1つ増えたわけですが、詰め込み教育をしているから、こういうことができているのではないですかね。
そして、幼稚園からもらった絵本の字を読みはじめました。
「絵本を読みたいの! いろいろなことを知りたいの!」と言うようになりました。
コレ、知的好奇心ですよね。
国語の早期教育をすることで知的好奇心の芽が摘まれるどころか、知的好奇心の芽が育っています。
小2の息子、あまりの国語力のなさで算数の足をひっぱりはじめました。
ちょうどそのころ、本気で中学受験をさせようと思いはじめました。
で、夏休みは国語の特訓をすることにしました。
年長の娘にも、学研の作文のドリルを小1から解かせていて、小2も終わり、今は小3のドリルを解いています。
早期教育を非難するかたにとれば、「まだ幼い子どもに無理をさせて、詰め込み教育! 知的好奇心の芽を摘む! 教育虐待だ!」ですよね。
しかし、娘は「国語を勉強して、もっといろいろな本を読めるようになりたい! いろいろなことを知りたい!」と言っていました。
コレ、わたしへの忖度ではありません。
そもそも、わたしは国語はほどほどにして算数の勉強をしてほしいと思っていますので。
早期教育することで、子どもの世界が広がっている、知的好奇心の芽が育ってきていると思うのは、わたしだけでしょうか。
確かに、早期教育、詰め込み教育で、子どもの心を壊すかたもいるようです。
しかし、その一部もって早期教育や詰め込み教育の全体を非難するのは短絡的ではないのかなーと思います。
一部をもって全体を非難してもいいのであれば、「早期教育を施していない貧困層には放置子がいる。親はパチンコしているのに、ご飯でさえもロクに食べられない子どももいる。信じられないような虐待もある。早期教育しないことは悪だ!」というロジックも正しくなりますが、間違っていますよね?
ちなみに、特に早期教育は科学的根拠がなく何が正しいのか誰にもわからないので、愛情をもって、しっかりと子どもと向き合っていれば、教育しようが、「幼い子どもに勉強させるのはなー」と考えて、遊ばせようがいいのではないか、と、わたしは思っています。
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